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経済・政治・国際

『青年海外協力隊事業の社会的役割:これまでとこれから』

 

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2015
年は青年海外協力隊の派遣が開始されて50周年ということもあり、今年に入り私も複数のイベントに関わらせて頂きました。神奈川あーすぷらざで行われた『ここからはじまる国際協力』(201531日)や『協力隊祭り』(2015421日)、『青年海外協力隊の学際的研究シンポジウム』(20151127日)などです。私の中ではその集大成として、国際開発学会第26回全国大会共通論題の座長として、20151128日に『青年海外協力隊事業の社会的役割:これまでとこれから』と題するセッションを大会実行委員長の宮田春夫新潟大学教授や国際開発学会会長高橋基樹神戸大学教授、学会関係者の皆様方とともに開催させていただきましたのでご報告申し上げます。

 なお、開催にあたり、学会の共通論題に青年海外協力隊がテーマとして上がるということは極めて感慨深い、というお言葉をいくつも頂きました。私も自分自身の22年間の歩みを振り返り深くそのように思います。

 以下、会場で配布させて頂いた資料を以下に簡単にご紹介いたしますととともに会場で出ました質問について簡単に掲載させていただきます。

 

座長:横浜国立大学 藤掛洋子

 

日時:20151128日(土) 16:55-18:25(*10分遅れて開始

場所:新潟大学 E260会場

対象者:国際開発学会学会員・新潟市民・JOCVOB/OG

背景と主旨説明

今年50周年を迎えた青年海外協力隊とめぐる環境は近年大きく様変わりしている。特に「ODA大綱」から「国際協力大綱」への変更や日本政府のグローバル人材育成と青年海外協力隊、地方創世と協力隊事業との連携、企業の協力隊連携派遣、大学連携短期派遣などは特徴的であるといえよう。

 50周年を迎えた協力隊事業は、これまでの良い面は引き継ぎながらも、新たな社会の局面の中で変わらなければならない点も多々あると考える。「グローバリゼーションによる新自由主義的な競争による成長」(新潟国際情報大学平山征夫学長)のみを追い求めるのではなく、地域に根ざし、社会の随所においてJOCV経験者が日本をけん引していく(外務省国際協力局豊田欣吾審議官)ような社会はどのようにすればできるのであろう。

本セッションでは地域おこし協力隊(千葉大学大学院研究院佐藤敦会員)やNGO活動(NPO法人多世代交流館になニーナ代表理事佐竹直子氏)などの具体的な事例も参考に考えてみることを試みた。ここでの議論を通し、短い時間ではあるものの、会場の皆様方とともに変わりゆく社会の中でJOCV事業の今後の果たすべき役割と課題、可能性をついて検討を試みた。

<共通論題の流れ>

主旨説明・司会進行 横浜国立大学大学院教授 藤掛洋子(パラグアイ家政隊員) 

基調講演 新潟国際情報大学学長 平山征夫氏

     「新潟から国際協力を考える」

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これからのパネル討論に向けて

 

     国際開発学会第26回全国大会実行委員長 新潟大学 宮田春男教授

パネリスト1 外務省国際協力局審議官 豊田欣吾氏

      「青年海外協力隊と我が国開発協力の政策展開」 

パネリスト2 千葉大学大学院人文社会科学研究科特別研究員佐藤敦氏

                  (セネガル視聴覚機器隊員)

「海外ボランティアの経験は地域おこしの力となるか:

 地域おこし協力隊へのJICAボランティア任期終了者の参加に関する試論」

 

パネリスト3 公益社団法人誕生学協会理事佐竹なおこ氏(新潟県長岡市)

               (フィリピン幼稚園教諭)      

       「青年海外協力隊の経験を地域のNGOにいかす」

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質疑 会場からのご質問を3つ受け付けました。

1. 東京大学東洋文化研究所新世代アジア研究部門佐藤仁教授より、「顔のみえる援助と顔のみえない援助について」、

2. 大阪大学人間科学研究科中村安秀教授より「外国につながる方々との関わりや国籍を超えた支援の可能性について」、

3. 関西大学総合情報学研究科の久保田真弓教授より「青年海外協力隊の活動が『グローバル人材育成』の可能性を担うならば文科省との議論の可能性を模索すべきであるという」ご指摘を頂いた。

質疑応答の後、国際開発学会会長 高橋基樹神戸大学教授より終わりのことばを頂きました。

ここでの議論は改めてなんらかの形で公開できるように尽力したいと思います。

ご参加頂いた皆様方、ご協力頂いた皆様方へ厚く御礼を申し上げます。

引き続きご指導頂きたくどうか宜しくお願い申し上げます。

                                        藤掛洋子

 

分離融合の国際協力は可能か?人類学者の役割を考えた瞬間

私の所属は、横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院になります(兼任で教育人間科学部人間文化課程の教授もしております。さらにいいますと、兼任で先端科学高等研究院中南米開発政策ユニット長もしておりますが、それらはここではおいておきます)。

都市イノベーション研究院では、私のような文化人類学(あるいは「開発の人類学」、もっというならば開発人類学)や社会学などの社会科学系を生業とする教員もいれば、都市交通や建築を専門とする教員もいます。いわゆる分離融合の大学院になるわけです。

私はこの分離融合という概念は十分に受け入れておりますし、必要であると思っています。開発途上国や新興国で社会開発に関わるにも、村の女性たちの支援のために一村一品運動を繰り広げるにも、インフラが整備されなければ社会開発が先に進まない場面に多々遭遇してきたからです。また、教育の質の向上が重要とわかっていても、学校がなければ勉強ができない、教室がなければ雨の日や灼熱の太陽が照りつける日はとてもではないけれども勉強ができないので、これまでにもパラグアイの農村部に学校を作るお手伝いをさせて頂き、4つの小学校他を建築させていただきました。

そんなこともあり、インフラ整備の重要性や分離融合の重要性は十二分に理解しているつもりであります。一方、今回のパラグアイ渡航で村で学生たちや(特活)ミタイ・『ミタクニャイ基金関係者のメンバーも含め、パラグアイのとある村において道普請のお手伝いをさせて頂いたのですが、立ち止まって考える必要がある思う部分がでてきて、・・・そう改めて文化人類学者的発想がむくむくと湧き上がってきたのでした。

そのこととについて今から少し書いてみたいと思います。

とある村では、数年前からコンフリクトが起きていました。もちろん、初めて村に入った人にはわからないようなものです。数年間の関わりの中で、その村で起きているコンフリクトを解消するために道普請をしてみてはどうかという話になりました。今年の5月頃から村の関係者と打ち合わせをはじめました。11月上旬には私自身が村に入り、道委員会の関係者にも個別にも意見をうかがい、村の教会においても参加している村人全員に説明をさせて頂き承認を得ました。その後も、村にある組合メンバーや保護者会、その他の委員会のメンバー、村の女性も子どもたちの参加した住民集会において道普請をすることを村の会議で決定しました。

その後、日程がしばらく空き、雨が降った翌日、道普請の日がきました。

農民の方々は作物を収穫しないといけないということで、予定していた数の村人は参加できず、一部の村の方々と日本側の関係者による道普請の実施となりました(道普請の当日、私はその場にはいませんでした*)。

*私は仕事の都合で日本に先に帰国する必要があり、道普請は他の専門家の先生にお任せをしました。道普請は素晴らしい出来栄えで関わった村の方々も日本側からの参加者も大層に満足していたということです。形になってみえる国際協力の強みはここにあると思います(私も家庭科の先生や生活改善普及員として料理指導などをすると、料理は形になり、おなかも満足する、とても良い仕事だと思います)。

一方、村人が来なかった/来れなかったことによりおきるインパクト(ポジティブな面もありますが、ここでは主にネガティブな面)をきちんと評価する必要があると考えています。その評価のあり方は色々ありますが、道普請の実施が外部者の自己満足であったり、一部の村人にのみ裨益する状況でははいけないと考えます。もちろん、村全員の合意が取れていれば良いのですが、今回はどうだったのか改めてヒアリングが必要だと考えます。

悪い道が補修されれば、村の人々の利便性は格段に向上されると思います。その点は間違いないものだと考えます。今回は「参加者が少なくとも、この場所の普請は行わせていただきます」、ということを前もってお願いをしておりました。日本側の若手の参加者の学習のためにも、というエクスキューズがあったわけですが、コミュニティのエンパワーメントという意味においてはいくつかの課題がまだ残っていると考えます。

支援活動には時間が限られるものが多いため、人類学者のたわごとのようなもの、悠長なことばかりをいうことをどうかと言われる方もあるかと思いますが、やはりここだけは譲れない。対象地域の方々あっての支援だと思いますし、ここで立ち止まって考えることをやめることだけは、やめたくない、そんなことを思った瞬間でした。つまり、村人が数名しか集まらない中で本当に道普請を行って良かったのかという点です。私が残っていたら、道普請の時、どういう対応をしたのかということも色々と考えています。

幸いにも日本の関係者が一名現地に残りますので、この点はきちんと話し合い、村の方々にとっても今後も気持ちよく道普請ができるような仕組みと道普請で出ていく費用(機械が壊れてしまい、その補修費用も参加した人も持ち出しになるなどがないような)の相応の分担ができるような仕組みを作る必要があると考えます。

また、私が学生時代に文化人類学の先輩諸氏、指導教官から口をすっぱくして言われたことが、村に泊まるなということでした。日本の村を事例にしたお話でしたが、途上国や新興国の村でも同じことが言えると考えます。関わりが多い人との情報量は蓄積されます。この点を「平等」や「民主主義」という観点から日本人はどう考え、アメリカ人はどう考えるのか、いくつもの事例に遭遇してきましたので、近い将来、この点についても考えてみたいと思います。

道を一つとっても、学校建設を一つとっても色々なことを考える機会を頂いております。

感謝して、考えることをやめないように考え続けたいと思います。

                                                                                                                                                2015/11/26

                                                                                      ふじかけようこ

横浜国立大学2015年度SVパラグアイ渡航の終わりを迎え


横浜国立大学2015
年度SVパラグアイ渡航メンバーのみなさまへ

 

いよいよ渡航プログラムも終わりを迎えつつありますね。

長い長い準備期間を経て、パラグアイに向かい、いくつもの山を乗り越えてようやくここまでたどり着きましたね。

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私は大変残念ながら仕事の都合でみなさまより一足早く帰国しなければならなかったのですが、みなさまとお別れをした後、皆様からいただいた寄せ書きを読んで涙にくれました。教員が泣くって変ですよね。自分でも恥ずかしいです。でも、そのぐらい、皆様のサポートをしたいという気持ちがあり、パラグアイで何かを掴んでいただきたいという思いがあり、日々変わっていくみなさまの顔や態度、意見を最後まで自分の目で見届けることができなかった、そんな残念な思いの涙でもありました。

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学生さんたちが村の学校の子供たちと触れ合って走り回ったり、笑っている姿は今でも目の中に焼きついています。

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私の帰国に代わり入れ替わりに入ってくれた大学非常勤職員やピラポ日系人協会佐藤会長、パラグアイからの留学生である佐藤鈴木セルヒオ誠吾くん、京都大学の木村教授、(特活)ミタイ・ミタクニャイ基金の現地サポーターをはじめ、通訳のみなさまのお陰で無事渡航プログラムが終わったことに心より感謝しています。

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寄せ書きのお礼も込めて皆さまにメッセージを送らせて下さい。

今年のリーダーのみお、昨年の渡航を予定していましたが、体調不良を見送ったため、準備期間は1年半に及びましたね。

でも、みおのがんばりで最後までグループが本当によくよくまとまっていたと思います。途中で体調を壊したり、会計の処理で行き詰まったりと色々ありましたが大変素晴らしいプログラムをよく作り上げましたね。みおがみんなに意見を求める姿には頼もしさを感じました。本当に最後までありがとう。この経験はきっと将来に役立つと信じています。

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しゅうへい、トンガから帰国したばかりなのに渡航プログラムに参加してくれて本当にありがとう。1年生の時から男子一名の藤掛ゼミでよくがんばってくれたと思います。1年生の時からこれまで見てきて、変わっていくしゅうへいをみるのは楽しみでした。トンガでの経験やパラグアイでの経験がきっとしゅうへいの未来への一歩になると信じています。

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けいた、2年生からゼミに参加してくれてありがとう。テニスとの両立はさぞかし大変だったことと思います。そんな中、このプログラムへの参加を決断してくれたことに感謝しています。村のこどもたちと遊んでいるときのけいたの笑顔を忘れることができません。また、人の話を聞くときの態度は素晴らしいです。けいたのおかげでグループがいつもぴしりとなりとても助かりました。私が村の子どもを机を運んでいる時、車から飛び出してきれくれましたね。そんな配慮に感謝しています。体に気をつけて帰国してくださいね。_mini_19

しおり、サブリーダーとしていつもサポートしてくれてありがとう。ずっと元気で笑顔を絶やさず、食事の準備なども積極的にして下さり、感謝しています。メルセデス小学校でボリボリという郷土料理を積極的に作ってくれたお陰で地域の方も大変喜ばれ、交流が進みました。また、裏方で私の事務仕事も手伝ってくれてありがとう。最後に水分不足で体調を壊してしまったようですが、私の指導がたりなくてごめんなさいね。最後まで楽しんでくださいね。


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わきちゃん、道普請プロジェクトに積極的に関わって下さりありがとう。丁度パラグアイは真夏、暑い日は40度を越えていましたね。そんな中、木村先生と綿密に連絡を取って下さり感謝しています。わきちゃんの頑張りのおかげで道普請プロジェクトの第一歩ができました。きっと、来年度もわきちゃんに続く人がでてくると思います。最初の道をつくったわきちゃんへ感謝を込めて。

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なおや、3年生からのゼミ異動という異例の措置でしたが、パラグアイを思いっき楽しんでくれて本当にありがとう。到着してすぐにホームステイチームに入り、言葉もあまりわからない中、絆を紡ぎ、家族と別れるときに涙したなおやのこと、一生忘れません。私も青年海外協力隊の活動が終わり、家族と別れるとき、さめざめと泣きました。帰国してからも1月ぐらいはもぬけの殻になりました。パラグアイの方々は本当に優しいです。なおやにもそんな出会いを与えられたこと、自分のことのように嬉しく思います。

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2年生チーム

あつし、1年生の時からゼミメンバーをリードして真摯な姿勢で本当によくがんばってくれましたね。2年生とは思えない頼もしさでこの渡航も支えてくれました。本当にありがとう。今回もソーラン節のリーダーになったり道普請のサブリーダーになったり、(特活)ミタイ基金本部のインターンとして様々な準備に関わってくれたことに感謝しています。アフリカでの体験を希望していたあつしがパラグアイに関わるようになったのもきっと何かのご縁だと思います。このご縁を大切に残された時間を有意義に過ごしてくださいね。いつも応援しています。

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あやな、参加を悩んでいた時期もありましたね。でもあやなが子供たちに囲まれて遊んでいる姿をみると、「あー参加して良かったんじゃないかな」、といつも見て思っていました。2年生ということで授業レポートなどもこれからしんどいことがあるかもしれませんが、それ以上のものを獲得できたのではないかと思います。是非ともこの経験を活かして次につなげて下さいね。

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おおはしくん、1年生の時、基礎演習だったかな、パラグアイ渡航を知り、是非とも参加したいと様々な準備に関わってくれて本当にありがとう。おおはしくんのアイディアのぶんぶんゴマのおかげで子供たちとの素敵な時間を過ごすことができましたね。また、ホームステイにも積極的に挑戦してくれてその勇気に乾杯です。村での生活で少し体調を壊してしまったようですが、得たものは大きいと思います。これからもがんばりましょう。

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おがわくん、経営学部からの参加本当にありがとう。おがわくんのお陰で私も多くのことを学ばせていただきました。リコーダーの提案も素晴らしかったです。子供たちがあんなに目を輝かせてリコーダーを吹く姿に、こういう国際協力も絶対にありだな、と強く思いました。学生でも’/’だからできる国際協力って本当にたくさんあるんだな、そんなことを教えて頂いた瞬間でした。ラオスでの活動がんばってくださいね。

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どひー、通訳ボランティアとしての参加本当にありがとう。たくさんの資料を訳すなど夜も眠れずさぞかし大変なことだったかと思います。どひーのお陰で渡航メンバー全員が色々な場面で助けられました。また、積極的にホームステイに関わって下さり、受け入れ家族のみなさまは大変喜ばれていました。どひーのチャレンジ精神に乾杯です。これからもパラグアイとミタイ基金をよろしくね!

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せいごくん、「パラグアイのことは僕が学生たちに教えると思ってパラグアイに来たら、先生の方がパラグアイのことに詳しかった」という最初のお話はとても興味深かったです。私もパラグアイに関わり始めて22年、せいごくんが赤ちゃんだったときです。私の知っていることもあるかもしれませんが、それでも、この渡航はせいごくんやせいごくんのご家族・ご親戚のサポートで成り立っているようなものでした。到着時のお迎えやご親族からの日本食の提供などがなければ、参加学生たちは暑さと環境の変化からもっと早くに体調を壊していたことと思います。最後まで無事に楽しい時間を共有できたのは一重にせいごくんとご家族・ご親族のみなさまのお陰です。本当にありがとうございました。

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かなえさん、今回は無理を言ってサポートに入ってもらいましたが、関わって頂き本当に助かりました。通訳もさることながら、体調不良の学生がでた時はその対応を助けていただくなど、かなえさんの存在がどれだけ大きかったことか。食事にまで気を使わせてしまい本当に感謝しています。これを機会に日本の同年代の若者たちと日系の若者たちがもっともっと繋がっていけると嬉しいなと思います。これからもよろしくお願いいたします。

りりーさん、今年で3回目の渡航プログラムにこれまで関わって下さり本当にありがとうございます。1年目のあの苦労と2年目の経験を活かして3年目は想定内で動けたかもしれません。それでも、日々変わる状況の中、色々と降りかかってくる無理難題に対応して下さり感謝しています。本当にありがとうございます。そしてこれからもどうか宜しくお願いいたします。

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ピラポでお世話になった皆様方、オビエドでお世話になった皆様方、アスンシオンでお世話になった学術交流協定大学の関係者のみなさま方、JICAパラグアイ事務所の皆様方、駐パラグアイ大使館上田特命全権大使、そしてご関係のみなさま方、駐日パラグアイ大使館豊歳特命全権大使、ご関係の皆様方、横浜国立大学の関係者のみなさま方、学生さんの保護者の皆様方、関わって下さった皆さま方に厚く御礼申し上げます。

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このプログラムはパラグアイに到着してからが始まりで、パラグアイを出立することにより終わりとなります。ですので、1123日の15時でこのプログラムは終わるになります。これから成田に向けての36時間の長い旅路が始まります。どうかくれぐれも気をつけてお帰りください。

サンパウロではターミナルを間違えないようにして下さいね。ヒューストンではWi-Fiフリーがありますので、少し安心かと思います。Kくん、飛行機に乗る前に必ず酔い止めを飲んでおいてくださいね。また、お腹のすぐれない方はビオフェルミンなどを服用して下さいね。

最後に私事で恐縮ですが、私の不在中、留守番をがんばってくれた息子にもありがとうをを伝えさせてください。そして私の不在中、支えてくれた家族やお友達にも感謝しています。

多くの皆様方に支えられて成り立っているこのプログラムも終わろうとしています。感謝の気持ちを忘れずに、これからも自分にできることを一生懸命やっていきたいと思います。

心より感謝を込めてプログラムのご挨拶とさせて頂きます。

本当にありがとうございました。

                                             2015年11月23日

                                                 藤掛洋子

 

 

上田駐パ大使講演会&2015年度SVパラグアイ帰国報告会

駐パラグアイ大使館上田善久特命全権大使によるご講演ならびに2015年10月-11月かけて実施第3回SVパラグアイ帰国報告会です。学校増設や農村部で行った道普請などの報告も行います!

上田大使講演会&

SVパラグアイ渡航報告会

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日時:20151130日(月) 時間:14時40分~1610

場所:横浜国立大学学生会館4階

第一部 駐パラグアイ大使館上田善久特命全権大使ご講演会 14時40分~15時10分

           司会:藤掛洋子

はじめのことば 長谷部学長  

上田大使ご講演 

おわりのことば  中村副学長 

第二部 SVパラグアイ渡航報告会 15時10分~16時

               司会:林りせ 教育人間科学部人間文化課程3

はじめのことば 藤掛洋子 

パラグアイ紹介ビデオ 

SVパラグアイ帰国報告会 

NihonGakko大学での学術交流シンポジウム紹介

・パラグアイスラム:カテウラ地区視察

・伝統工芸:ニャンドティ調査結果

・農村部における学校建設・教育支援 メルセデス・サントドミンゴ

・日系移住地における調査・実践 ラ・コルメナ移住地、ピラポ移住地

おわりの言葉 駐パラグアイ大使館上田善久特命全権大使 

第三部 質疑応答 16時~1610分 

司会進行 佐々木みお・佐藤脩平

学生代表 おわりのことば 近藤啓太

共催:都市イノベーション研究院、教育人間科学部人間文化課程、横浜国立大学先端科学高等研究院中南米開発政策ユニット・藤掛洋子研究室

協力:横浜国立大学国際課、NihonGakko大学、(特活)ミタイ・ミタクニャイ子ども基金

パラグアイ国会表彰ならびに名誉博士号を頂きましたのでご報告申し上げます。


みなさま方へ

大変ご無沙汰しております。毎日があまりにも忙しくこちらのブログを更新することができなくなって数年が経ってしまいました。息子も10歳になり、それなりに悩みながらも子育てをさせて頂くことに感謝して、仕事も続けさせていただいていることに感謝して生きております。

先日、とても嬉しいことがありましたので久しぶりにこのブログを更新させていただきたいと思い至りました。

2015年10月28日、パラグアイとの22年間の関わりを通し、駐パラグアイ大使館上田善久特命全権大使ご臨席のもと、パラグアイの国会下院より表彰と金メダル(勲章)を頂きました。また、30分程講演をさせていただきました。実際には40分かかったとあとから言われました。

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国会表彰にはピラポ日系人会長ご夫妻も駆けつけて下さり大変感激いたしました。

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受賞の際に着用させていただいたのは、パラグアイの伝統的な手工芸品であるニャンドティの手作りドレスです。パラグアイ愛好家の方やパラグアイハープ奏者の方々などが時々お召になられているものです。

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今回は、シングルマザーの方や体に障がいを持たれる方たちが作って下さり、彼ら・彼女らにとっての初めての作品になりました。この後にご報告いたしますが、名誉博士号授与式の時(下に写真を掲載いたします)にはわざわざ会場に駆けつけて下さり、とても嬉しく、涙がこぼれました。大変な中本当にありがとうございました。

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こちらの写真が10月30日にNihonGakko大学より名誉博士号(教育学)を授与された時のものです。

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二つの受賞(正確には3つの受賞)は身に余るものであり、これまで私を助けてくださった村の方々やご関係者の皆様とがあってのものであります。これらの賞は、私ではなく、パラグアイのご関係者の皆様方に贈られたものであることをしっかりと胸に刻み、これからも教育研究実践活動に真摯に取り組み続けたいと思います。

これからも多方面でご迷惑をおかけすることがあろうかと存じますが、どうか引き続きご指導ご鞭撻を賜りますよう、謹んでお願い申し上げます。

 

                                                 藤掛洋子

スペイン・マドリッドにおける調査

 *スペインにおける国際協力に関する調査*

2008年8月5日~11日までスペインにおいて、同国がどのような国際協力を展開しているのか調査をしている。調査内容は、公式な報告書を作成するが、ここでは調査に関わるこぼれ話を少し書いて見ようと思う。

ここ十数年は中南米での調査が多かったため、スペインに来るのは十数年振りとなる。久しぶりということもあり、少しドキドキしたが、ロンドン・ヒースロー空港に到着し、第二ターミナルに移動したあたりから、ラテンの香りが漂ってきた。英語圏にいるはずが、周りはほとんどスペイン語。それも、スペインのスペイン語のみならず、どう聞いても中南米のスペイン語であろうと思われるアクセントでお話になる方も多い。様相も、雰囲気も明らかに中南米の方ではないかしら、と思われる方もおられ、ふるさとに帰ったような安堵した気持ちになる。

2008年はじめに出たPuerta del Sol(スペイン語の雑誌)に、好景気に沸いたスペインに中南米から正規・非正規の労働者が多く移動してきた、記事があり、そのことも背景にあるのだろうと空港事情が飲み込めた。確かに、私のフィールドであり、ふるさとでもあるパラグアイの人々は、以前はアルゼンチンや米国に「出稼ぎ」にでていたが、ここ数年は多くの人々(特に若い女性)がスペインに行くと言っていた。言語も通じるので、米国に行くよりも垣根が低い、という。

マドリッドに中南米の人が多くいるように感じるのが理由なのか、マドリッドに到着し、調査をはじめても、ここは南米では?と錯覚してしまう自分がいる。使用する通貨はユーロであるが、感覚は南米、なんとも不思議である。同時に、スペイン人が中南米の国々を植民地とし、町を築き上げた歴史を考える。マドリッドの町並みと、パラグアイの首都アスンシオンのプラサやペルーのパラシオなどにいくつもの共通点があり、自分自身がどこにいるのかわからなくなってしまう。十数年前にスペインに滞在した時には感じなかった感覚でもある。

さて、第一日目は、外務省技術協力機関に行き、2名の担当者に面談、その後、付属施設である資料館へ。調べていてこの国の国際協力が、技術協力といわれている部分も、異文化交流・理解を進めることに重点を置いていることがわかってきた。また、外国人のlectorados(カトリックの読師)を育てるプログラムもある。スペインの文化や宗教を国外に広めるプログラムが外務省の中にあるのである。これは、宗主国であったスペインの歴史観、そして宗教の点などから、国際協力プログラムを紐解くことが重要なのではないだろうかと再確認した点である。

また、国際協力事業の中で特に力を入れているのが、BECA(奨学金)制度である。スペイン国内の学生を海外にbecario/becariaとして送り、「異文化交流」、「国際協力」を行うそうである。また、「途上国」の学生たちをスペインの大学に受けれいている。これも、宗主国と植民地との関係から読み解く必要があるだろう。

国際協力事業は地域割りになっており、課題別には細かく分かれていない(2007年10月の組織図)。これも、国際協力の重要なポイントを「異文化交流」と位置づけているならば、うなづけるような気がする。

日本の国際協力にも色々な意味づけがあるだろうし、様々な解釈もできるだろう。スペインの国際協力も歴史的文脈、宗教との関係を理解することが重要であるように考える。

2008年8月7日 4時 スペイン時間 ホテル アロサにて 藤掛洋子

後半はイギリスでの乗り換え時に

マドリッド日記後半

以前のマドリッドと何か違うと感じたがその理由がよくわかることがいくつかあった。1992年のバルセロナオリンピックと国際博覧会を堺に、スペイン政府は国際社会の仲間入りを果たしたということ。OECD・DACに加盟し、ODAへの拠出金が代10位前後を推移している。

次に、1996年以降の建設ラッシュによる移民受け入れと、2002年にユーロへの加盟である。

建設現場やサービス業には中南米からの人々を受け入れ、農業や牧畜業にはマグレブ諸国やアフリカ、旧東欧からの出稼ぎ労働者を受け入れているという。このような移民の方たちに対し、政府は2002年と200X年に、永住権を与えたという。この行為に対し、他のEU諸国からは大きな反発があったという。なぜならば、スペインの永住権を獲得したということは、EU諸国に自由に行き来できることになるという理由からである。正規の労働ビザではないが、非正規でも多くの人々がスペインにはやってきているという。ぶどうの収穫期には、バスで数日かけて旧東欧から人々がやってくる。

以上のことから、マドリッドの街中にはアフリカ系に人々、中南米の人々が多く見受けられ、昔のマドリッドとは何か違う雰囲気をかもし出しているのであった。私の最後のスペイン滞在は、バルセロナオリンピック以前であるから、その違いがよくわかるものであった。

今年に入り、石油の高騰、建設景気のかげりから、スペインの経済状況はかなり深刻であるという。出稼ぎ労働者たちは、仕送りが出来ないことから、本国に帰りつつあるという。

出国の時、明け方4時であるにも関わらず、イベリア航空の地上職員は笑顔で私のチケットの変更に応じてくれた。機会のトラブルに見舞われ、時間がかかったものの、最高の笑顔で、「もうすく手続きが終わるから、待っててね、Vale!Vale!(OK)」を連発。以前から、スペイン人の暖かさは感じていたが、ここまで親切だったとは。

スペインに留学した経験のある友人からは、様々な手続きに時間がかかり、スペインはもう嫌だなどど聞くこともあるが、今回の調査では、どこの官庁もNGOオフィスの職員も丁寧に対応して下さり、最後まで笑顔で見送ってくれたりした。

これもEU統合のせいなのか、国際社会への仲間入りをしたためなのか・・・。それとも、私が多少、スペイン語を話すためのなか・・・。フィギィアスケートの荒川静香さんが金メダルと取ったせいか。はたまた、日本の国際社会に対するプレゼンスが高まったせいか?

様々な要因が重なっていると思うが、これまで長きにわたり中南米と関わりを持たせて頂いたことから、欧州への行き来が以前よりもずいぶん減ったために、逆に感じることができなかった社会変化の側面を体感することができた。世界が動いていることを実感することができたスペイン調査であった。

調査内容は、報告書をご覧くださいませ。

2008年8月 イギリスの空港にて

開発援助と人類学勉強会100回記念無事終了!

「開発援助と人類学勉強会 100回記念 & No more?!」

2008年4月12日(土曜日)に「開発援助と人類学勉強会」(以下、開人)の勉強会が開催され、140人近い方が申し込まれ、100名近い方が出席されました。

この勉強会はアジア経済研究所の佐藤寛氏と数名の仲間たちによりはじめられたもので、正式の発足は1994年になります。

わたくしは1992年より1995年までは青年海外協力隊の隊員としてパラグアイに派遣されており、帰国した1995年にこの勉強会のことを知りました。その当時市ヶ谷にあったものものしい雰囲気をかもしだしたアジア経済研究所の建物に足んだ初日、会場には、英語の論文を読み続ける研究者の方などもおられ、果たして自分自身が参加できる空間なのかと思ったことを今でも鮮明に覚えております。

当時のわたくしは、進路について悩み、開発援助現象に関わった当事者として悩み、人類学と援助を結びつけることの難しさについて悩み(開発は「悪」というような暗黙の了解が学問の中ではあった)、開発の中にあるジェンダー課題をどのように解決していくことができるのか悩み?考えるなど・・・様々なことを考えておりました。このようなことを議論できる空間が開人にはあり、気がついたら長い間参加させて頂くことになりました。

また、自分自身の研究内容が四面楚歌に陥っても、開人でなら議論ができたことも事実です。この空間では、多くのことを先輩諸氏から学ばせて頂きました。

一時期、勉強会は中止(おわり)の危機に直面しました。佐藤氏がイエメンに再赴任されることとなり、「勉強会を止める(疲れた?!)」と言われたわけです。その時の送別会の席でなんとわたくしが、「わたしが留守を守ります」と宣言した(らしいです)。このことは、長きにわたり勉強会の運営を担ってこられた森氏より先日指摘されました。

今、思いおこせば、確かにそうであったようにも思います。佐藤氏が赴任された後、留守を担った10数名のメンバーで開人を運営して参りました。各人ができる範囲で、発表者をお願いし、司会や記録を担当し、イエメンまで郵便で(当時はインターネットが今ほど、普及していなかった)カセットテープと議事録を送っていました。その後、自分自身の仕事が忙しくなり、議事録などのイエメンへの送付が途絶えてしまったような気もいたします。

ついこの間、暗く、重々しい市ヶ谷のアジ研に足を運び、研究をするようになった思いでありますが、開人に関わりはじめてすでに13年の月日が流れていることに驚き、感無量でもあります。

佐藤氏の暖簾分けを受け、愛知や京都で「開人パート2(名前はわかりません)」なるものが活発に始まるようです。わたくしも開人の教え、それから13年間考え続けてきた開発とジェンダーについて、あとに続く方々とともに試行錯誤すべく「開発におけるジェンダーと人類学」といった勉強会を開催していきたく存じます。

開人でお会いした皆様方、ご興味がありましたら東京で勉強会を開催していきたいと思いますので、気軽にお声をお掛け下さいませ。

佐藤さんをはじめ、開人でお会いした皆々様、本当にありがとうございました。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

http://www1.tmtv.ne.jp/~yoquita/index.htm

藤掛洋子

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